「選択理論心理学」と「外的コントロール心理学」の行動の違い
5つの基本的欲求
5つの基本的欲求とは、身体的な欲求である生存の欲求と、心理的な欲求である愛・所属の欲求、力の欲求、自由の欲求、楽しみの欲求の4つをあわせた、私たちの誰もが遺伝的に持っている欲求です。
5つの基本的欲求は誰もが持つものですが、人によってその強弱と満たし方が異なります。
力の欲求を例にすると、力の欲求の強い人は「絶対に一番でなければ嫌だ」「絶対に負けたくない」などと考えますが、力の欲求の弱い人はそうではありません。
満たし方についても、勉強を頑張り、テストで100点を取ることで力の欲求を満たす人もいれば、スポーツで活躍し、周囲の賞賛を得ることで力の欲求を満たす人もいます。
この5つの基本的欲求の中で、一番満たすのが困難な欲求は愛・所属の欲求です。というのは、これだけが唯一、一人で満たすことができないからです。また、力の欲求もしばしば満たすことが困難です。力の欲求を満たすために外的コントロールを使ってしまい、人間関係を破壊してしまうことがあるからです。
上質世界
上質世界とは、5つの基本的欲求を最も満たすイメージ写真です。
私たちは、この上質世界にあるイメージに自分を近づけていくために、その時最善と思った行動を取ります。
私たちは上質世界にあるものには強い関心を持ちますが、
上質世界にあまり関係のないものに対しては関心を払いません。
上質世界に入るものは全て、自分にとって肯定的なものです。例えば、配偶者や最も親しい友人、好きな食べ物や欲しいもの、行きたい場所や趣味、宗教や哲学な どが入ります。
上質世界は固定したものではなく、常に作り変えられていきます。例えば夫婦は結婚当初は通常お互いを上質世界に入れていますが、お互いに外的コントロールを使い続けると、徐々に上質世界からお互いを取り除いてしまいます。
全行動
選択理論では、人間の行動を全行動という概念で説明します。
全行動では、我々の行動を「行為」「思考」「感情」「生理反応」の4つの要素に分けて捉えます。
私たちの行動は常にこれらの4要素が絡み合って構成されています。
全行動の概念は車にたとえられます。全行動の4つの要素が4輪をなし、ハンドルが願望、エンジンが基本的欲求です。
4つの行動のうち、自らの意思で直接コントロールできるのは前輪の行為と思考だけです。
ただ、「ジョギングする」という行為を選べば汗をかいたり、心拍数が上がったりしますし、落ち込んだときでもお笑い番組を見れば気分がよくなることもあります。このように、後輪の「感情」「生理反応」は前輪の「行為」「思考」に引っ張られて変化します。
そしてこの車は願望に向かってハンドルを切り、そちらに進みます。願望が明確であるほど、直線的に、より早くそちらに向かいます。
このように、選択理論では自らの行為と思考を選択することで、
自分の行動を直接・間接に全てコントロールできると考えます。
また、私たちがより多くのコントロールを得るためには、何をしたいのか、何が欲しいのかを理解しておくことが重要です。
私たちは願望が明確でないと目先の楽しさに目を奪われ、「あれもこれも」と迷走してしまうのです。
創造性
創造性とは、既に知っている整理された行動と求めているものが得られないときに、新たなアイデアを生み出すために、脳が情報を再整理している状態のことであり、どんな人にも備わっている能力です。
例えば、いつも乗っている電車がトラブルで止まっている時、私たちは「どうしたら目的地に着くだろう?」「どのルートなら間に合うだろう?」と新しい行動を考えます。こうした脳の働きが創造性です。
情報が脳に入ると、その情報は個々の善悪や好き嫌いなどの基準によって、「快適感情・積極的価値」を伴うか、「苦痛感情・否定的価値」を伴うものとして知覚されます。
前者の場合、脳はどのようにそれを手に入れられるかということや、どうしたらもっとうまく出来るかということを考えます。
後者の場合、問題を解決したり、直面したくない状況を避けるために何が出来るかを考えます。
私たちの行動に創造性を付与するのが創造システムです。
創造システムのプラスの面は、より高いレベルで欲求を満たしたり、複数の欲求を同時に満たすために発揮されます。
例えば、「いつでもどこでも音楽を聴いていたい」という欲求を満たすために携帯音楽プレーヤーが生まれ、「仕事を終わらせたいけれど、お腹も満たしたい」という欲求を満たすために、すばやく気軽に食べられるゼリー飲料が生まれました。 しかし、創造システムにはマイナス面もあります。 例えば、思い通りの人間関係を得られなかった時や仕事で失敗してしまったときなどに、落ち込んだり、暴飲暴食して憂さ晴らしをすることがあります。これも創造システムが働いた結果です。こうした行動は、周りからは効果がないように見えても、本人にとっては苦痛感情がもたらすストレスを回避したり、紛らわせるための最善の行動なのです。